2017年8月31日木曜日

日本の面影

今から120年ほど前に書かれた、ラフカディオ・ハーン(小泉 八雲)の著書に「日本の面影」という紀行文がある。

その中でハーンは、日本の第一印象を、この上なく美しい礼賛の辞をもって表現している。

以下・「本文」より

ラフカディオ・ハーン

まるで何もかも、小さな妖精の国のようだ。人も物も、みな小さく風変わりで神秘的である。

青い屋根の小さな家屋、青いのれんの掛かった小さな店舗、その前に、青い着物姿の小柄な売り子が微笑んでいる。そんな幻想(げんそう)を打ち砕くのは、時々すれ違う背の高い外国人と、さまざまな店の英字看板だけである。

しかしながら、そんな目障りなものも現実感を強調するだけで、この面白い通りの魅力がそれで著しく損なわれることは断じてない。

この小さな通りを走り抜ける(注:人力車)私たちに向けられるおびただしい人々の顔の中にも、そのまなざしの中にも、驚くほどの優しさを感じる。

誰もが興味の目を向けて来るが、そこに不愉快さは全くないし、ましてや、その視線に反感を感じることもない。

たいていの人から笑顔か、かすかな笑みを返されてきた。このような思いやりのある興味のあるまなざしや、笑みを目の当たりにすると、初めてこの国を訪れたものは思わずお伽(とぎ)の国を彷彿(ほうふつ)としてしまうことだろう。

こうした表現は確かに、ありふれていて、うんざりするかも知れない。誰もが口を揃(そろ)えたように、この地の第一印象を『日本はお伽の国で、日本人はお伽の国の住人だ』と表現する。

しかしながら正確に描写することなど、ほとんど不可能な世界を初めて表現しようとすれば、同じ文句におさまってしまうのも無理からぬことではないか。

すべてが自分の世界よりもスケールが小さく優美な世界

~ 人の数も少なく、親切そうで、自分の幸せを祈るかのように、誰もが微笑みかけてくれる世界 ~

~ すべての動きがゆっくりと柔らかで、声音も静かな世界 ~

~ 大地も生き物も空も、これまで見たこともない、全くの別世界 ~

そんな世界にいきなり飛び込んだのである。イギリスの民話を開いて育った想像力の持ち主なら、これこそが昔、夢見た妖精の国の現実だと、錯覚しても致し方はなかろう。

2017年8月30日水曜日

自らの力で歩む

ヨハネの手紙第一の中に、次のようなみことばが書かれてあります。

◆弁護者キリスト【新共同訳】
2:1 わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。
2:2 この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。
2:3 わたしたちは、神の掟を守るなら、それによって、神を知っていることが分かります。
2:4 「神を知っている」と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人の内には真理はありません。
2:5 しかし、神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現しています。これによって、わたしたちが神の内にいることが分かります。
2:6 神の内にいつもいると言う人は、イエスが歩まれたように自らも歩まなければなりません。

これを読まれたみなさんは、御自身の信仰の歩みを顧みて、どのようにお感じになったでしょうか?
このような気持になった方はおられないでしょうか?

「あぁ、わたしの信仰は偽りの信仰だ。神のことばを何一つ守れない。わたしは神を愛してもいないし、わたしの内には神の愛なんか何もないんだ。」

あなたは、みことばを読み間違えています。注意してください。注意してください。
そのような考えは神から来るのではなく、私たちを滅ぼそうとする者から来ているのです。

私はこの聖書箇所の原文を自分で訳してみました。以下の「ヨハネの手紙 第一」をクリックしてお読みください。


どうでしょうか?

5節に
しかし、この方のことばを守っている者は誰でも、このお方の故に、本当に神の愛が実現されているのです。この事によって、『私たちは、このお方によって存在している』ことが分かります。

とあります。
私たちが自分の力で「神のことば・神の戒め」を守って、神の愛の歩みを全うしようとしても必ず失敗することはあなた自身が何度も経験しています。
私もそうです。何一つ全うしたことがありません。

しかし私は勇気を失いません。なぜなら私は「このお方の故に」また、「このお方によって存在している」からです。

「神の御言葉を守る」、「神の戒めを守る」ということは、父の御許にいて私をいつも取り成していてくださる、義なるイエス・キリスト、私の罪々の贖いの生け贄となってくださったイエス・キリストを信じる信仰を生き続けることなのです。

このどうしようもない身体に言い聞かせて、「主よ、あなたは私に守る力を与えて下さり、それを完成して下さる力をお持ちであること信じます。」と祈りつつ、感謝をもって、喜びをもって、前に向かって歩んでいます。

2017年8月27日日曜日

8月27日(日)主日礼拝

管理人です
島本キリスト福音教会 主日礼拝ビデオを公開します。

2017.08.27
司会・賛美 山本 兄
メッセージ:川元 洋子 伝道師
イザヤ書 56章7節
「わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、
わたしの祈りの家で彼らを楽しませる」

2017年8月20日日曜日

8月20日(日)主日礼拝

管理人です
島本キリスト福音教会 主日礼拝ビデオを公開します。

2017.08.20
司会・賛美 平原 兄
メッセージ:藤田 啓文 牧師
ヨハネ福音書に聞く 第98回
ヨハネの福音書 21章15節~19節
「信じること・愛すること 違うのか?」


2017年8月19日土曜日

ギリシア語対訳「フィリピ人への手紙」修正版をアップしました

管理人です。すでに公開させていただいている

の日本語翻訳に誤記箇所(タイプミス)がありましたので、
修正版をアップしました。

上記「フィリピ人への手紙」をクリックして下さるか、「リンク集から」ご覧下さい。

なお、訂正箇所は2か所です。

4章3節
【誤】
 そうです。私はあなたにもお願いします。本当の労同者《くびきの相棒》よ。あなたは彼女たちに手を貸しなさい。

【正】
 そうです。私はあなたにもお願いします。本当の労同者《くびきの相棒》よ。あなたは彼女たちに手を貸しなさい。
 彼女たちは『いのちの巻物にその名を記されている』クレメンスや、その他の同労者たちと同じように、この福音のために私と共に戦っているのです。

4章4節
【誤】
 彼女たちは『いのちの巻物にその名を記されている』クレメンスや、その他の同労者たちと同じように、この福音のために私と共に戦っているのです。

【正】
 あなた方は、どんな時にも主で(の故に)喜んでいなさい。重ねて言います。喜びなさい。

ご迷惑をおかけ致しました。お許し下さい。m(__)m

なお、「製本版」をお持ちの方は、御自身で誤記か所を訂正下さいますようお願いいたします。

スペイン・バルセロナのテロ事件に思う

スペインのバルセロナと言えば、あの有名な建築家「ガウディー」設計の教会「サグラダ・ファミリア」の所在地としてつとに有名である。

サグラダ・ファミリアとは「聖家族贖罪(しょくざい)教会」という意味だそうである。

私たちの負い切れない罪の罪過を、キリストがその十字架上で私たちの罪を一身に負って死んで下さったことを信じる信仰の故に、私たちも、神の目に義と認められました。

罪のために死ぬほかなかった私たちの、この死の体を贖(あがな)い、罪の奴隷から永久に解放して下さったところから付けられたのがこの教会の名称である。

その罪の解放の象徴の目の前で、このテロ事件は発生したのである。
わずか半月ほど前、私たちの教会の姉妹方が当地を訪問したばかりでした。
それだけに他人事とは到底思えない事件でした。

いつまでこのような憎悪が横行し続けるのでしょうか。
なぜ神はこのような暗闇の行為を見逃しておられるのでしょうか。
私には、その答えも、その解決方法も何一つ持ち合わせません。

フランチェスコのように、こう祈るだけです。

主よ、暗闇が支配する、この世界の惨状・人の心の荒廃をご覧下さい。
主よ、あなたはこれでいいのだとは絶対に思ってはおられないはずです。そしてこのようなことを野放しにされるはずがありません。

私は『何故』の答えを切望しています。ほんの少しでいいのです。あなたの御国に至る御計画の真実を私にも見せて下さい。

主よどうか憎しみのあるところに、あなたの赦しを与えてください。
悲しみのあるところに、あなたの慰めを満たして下さい。
絶望のあるところに、希望を見いださせて下さい。
暗闇の世界に、あなたの平和の光を輝かせて下さい。
敬虔の心が高慢の支配を駆逐しますように
争いのあるところに和解が支配しますように
そして何よりも、あなたにある神の愛が人の心に打ち立てられますように。

このように祈っているとき、私の心に一つの賛美が溢れました。

聖歌 397番「とおきくにや」でした。


テロ事件の先には、あのサグラダ・ファミリアの十字架が厳然として立っています。

この賛美は、1923年(大正12年)9月1日、午前11時58分に発生した、あの「関東大震災」を目の当たりに経験した作者「J.V.マーティン」の作詞・作曲です。

聖歌の友社 聖歌撰の解説によると、大阪市立高等商業学校(現・市立大学)の英語講師で 大阪に在住していた作者 J.V.マーティンの言葉が紹介されている。

「 東京大震災の 9月1日(1923年)の夜、多くの罹災者が 芝白金の明治学院の運動場で 夜を迎えました。
九死に一生を得た人々に 蚊帳とロウソクが支給されました。その夜、たまたま東京にいた私は 明治学院に見舞いに来たところ、蚊帳の中で点火されたロウソクの火が 丁度、暗闇の中の十字架に見えたのです。
私は早速ペンを執り、この詩を書き上げ、その後大阪に帰ってこの曲をつけました 」

事件の先にも十字架が厳然として立っている。
確かにこの世界は、あの大震災と変わらないくらい、いやそれ以上に揺れ動いている。
いつ滅びるとも知れない、絶望的な人間の精神世界。自分の腹を神とする混沌の世界。

このような時代だからこそ、事件の先の十字架は「なお輝き続ける」
「われここに在り」と。
主よ、これが私に対する回答なのですね。

私は信じます。
たとえ世の中がどうあろうとも、主の十字架の真実は私の中で、みじんも変わらず動きません。

2017年8月13日日曜日

8月13日(日)主日礼拝

管理人です
島本キリスト福音教会 主日礼拝ビデオを公開します。

2017.08.13
司会・賛美 川元洋子 伝道師
メッセージ:藤田 啓文 牧師
ヨハネ福音書に聞く 第97回
ヨハネの福音書 21章1節~14節
「原点を思い起こせよ」

礼拝メッセージ要旨【PDF】

ギリシア語対訳「ヨハネの福音書」修正版をアップしました

管理人です。すでに公開させていただいている


の日本語翻訳に誤記箇所(タイプミス)がありましたので、
修正版をアップしました。

上記「ヨハネの福音書」をクリックして下さるか、「リンク集から」ご覧下さい。

なお、訂正箇所は2か所です。

① 11章26節
【誤】
 「それで、『この私で(によって)信じる者は皆、永遠に(次の世に至るまで)決して死ぬようなことはない。』あなたは、この事を信じるか?」

【正】
 「それで、『この私で(によって)生きて、信じる者は皆、永遠に(次の世に至るまで)決して死ぬようなことはない。』あなたは、この事を信じるか?」

② 21章3節
【誤】
 シモン・ペトロが彼らに言った。「私は漁に行く。」彼らは出て行って舟に乗り込んだが、その夜の内には一匹も獲れなかった。

【正】
 シモン・ペトロが彼らに言った。「私は漁に行く。」彼らはペトロに「我々も、お前さんと一緒に行くぞ。」と告げた。彼らは出て行って舟に乗り込んだが、その夜の内には一匹も獲れなかった。

ご迷惑をおかけ致しました。お許し下さい。m(__)m

なお、「製本版」をお持ちの方は、御自身で誤記か所を訂正下さいますようお願いいたします。

2017年8月11日金曜日

山の日に思う

8月11日は山の日

山の日っていつもお盆休みが始まる時なんだ。
そして海の日のようにハッピーマンデーになっていないからいつも連休とは限らないんだ。

今年の山の日は金、土、日と3連休。金曜夕方のデパートは大賑わい。夏休みと帰省する人々のゆえだろうか?
都心では祝日の山とは無縁の光景が見られる。

そもそも国土の7割が山である日本、山の恵みはいっぱいあるのにその山が大いに荒れて久しい。

安野光雅・蓮華岳と爺ケ岳(安曇野)
山が荒れているなら川や海をいくら整備しても意味がない。山からの栄養素が川を下り海へと流れ、魚が生きる。
山・河・海、みんなが繋がっているので、その山が荒れたら山の生き物も生きられない。鳥獣、昆虫類も繋がっている。

奥山が豊かなら鳥獣も生活ができ、里山には下りて来ない。里山は人間が山から恵み受ける生活圏。

奥山で暮らす鳥獣と人が暮らす里山との棲み分けができていたのに今はそれが崩れた。
崩れた原因がわかっているのに長らく手を打たない。

四季が明確で、綺麗で豊かな水が湧き、多くの木々、花の数々が生きている日本のような美しい国があるだろうか?

安野光雅・津和野「青野林道より」
一層、山の日の祝日を連休として、国民総出で地元の山の手入れ日にしたらよいと思う。山が荒れたら人間生活に支障が出るからだ。

山への畏敬を忘れた人間は心も荒み人間性もおかしくなってくる。山を荒らした結果、大きなしっぺ返しを現に受けている。

わたしも生き、あなたも生きる。この世界に生きているすべてのものは同等といういつくしむ心があれば違ってくる。

もし人間が生きているもの頂点に立っていると思うのなら、与えられたものをきちんと管理する責任も伴っているだろう。

管理責任を放棄して自分勝手に生きるのならやがて人間も滅びてゆくだろう。

2017年8月6日日曜日

8月6日(日)主日礼拝

管理人です
島本キリスト福音教会 主日礼拝ビデオを公開します。

2017.08.06
メッセージ:藤田 啓文 牧師
ローマ人への手紙 6章3節~6節
「霊の人か肉の人か」
(ブラザー・ローレンスの生き方を通して)

今回は、ブラザー・ローレンス『敬虔な生涯』(CLC出版)からの朗読が中心です。
  上記『敬虔な生涯』をクリックし、原稿を参照することで、より理解が深まるでし
  ょう。

2017年8月2日水曜日

ギリシア語(対訳)パウロ獄中書簡

管理人です

新約聖書 ギリシア語対訳(私訳)
パウロ獄中書簡の残り

「フィリピ人への手紙」

「コロサイ人への手紙」

を公開します。
上記、手紙をクリックして下さるか、「リンク集から」ご覧下さい。

神の御言葉が、これを覧下さる、お一人お一人の心を照らして下さり、神を知る知識と神を求める思いが与えられますように。

また、キリスト・イエスが人として来て下さった真の意味を知り、神の秘められた御計画がどのようなものであるかを理解することができますように。

そして、神の絶大な愛の計画の全容が明らかにされ、恵みと感謝、喜びと平和に満ちあふれさせて下さいますように。