2017年5月26日金曜日

恵みの年

イエスはおよそ30歳で、ご自身が十字架上において成就されることになる神の国の福音を宣べ伝え始められたことが聖書に書かれています。(ルカの福音書 3章23節)

神の国とは、『俺様が自分自身を王様として支配する生き方から、神が王として私を支配してくださり、罪の鎖から解放された「いのちの人生」へと招き入れて下さること』すなわち『神が王となられた(イザヤ書 52章7節)』ことの宣言です。

人生50年の時代にあって30歳とは、人生の酸いも甘いも経験し尽し、すでにに人間としての人生が完成された円熟期のお姿がそこにあったということでしょう。

バプテスマのヨハネから浸しのバプテスマを受けられたイエスは、荒野での悪魔の誘惑に試みられたのち、ご自分の郷里において、イザヤ書の巻物のこの個所をわざわざ選んで開かれ、このように宣言されました。

「わたしの上に主の御霊がおられる。
主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、
わたしに油をそそがれたのだから。
主はわたしを遣わされた。
捕らわれ人には赦免を、
盲人には目の開かれることを告げるために。
しいたげられている人々を自由にし、
主の恵みの年を告げ知らせるために。」

これはイザヤ書の61章1節~2節からの引用です。
そして、公然と、また大胆にこのように宣言されたのです。

「今日、聖書のこの個所が、あなた方が耳にした時、余すところなく実現した。」(私訳)

まさにこの日、この時から『主の恵みの年』がスタートしたのです!
この日から『BC・紀元前』は終わり『AD・西暦紀元』が始まったのです。

『AD』とはラテン語で『アンノドミノ』すなわち『主の恵みの年』の意味なのです。

あなたご自身の人生の『AD』もまた、この言葉を聞く時に始まるのです。

耳にする、聞くとは「その言葉を聞いて理解すること」つまり、あなたの心が「この言葉は真実で、信頼に値する言葉だ」と信じる力があるかどうかにかかっているのです。

信じて「イエスさま。今この時から私の主となってください。私の人生に共に歩んでください」と、口に出して一歩を踏み出す時、恵みに次ぐ恵み、『驚くべき恵み』をあなたは経験するでしょう。神の聖霊によって今も主の恵みの年は続いているからです。

主は、この日、郷里のすべての者から捨てられ、ユダヤ会堂を追放され、ナザレ村の町はずれの崖まで連れてゆかれ、石打ちの処刑のために投げ落とされそうになるに至ったのです。
『主の恵みの年』の宣言の日が、十字架への道のスタートの日ともなったのです。

この世を支配する悪魔の誘惑を排除したイエスの歩むべき道は、当然といえば当然、迫害に次ぐ迫害の十字架の道しかなかったのです。
これが人間の目には全く愚かにしか見えない神の道なのです。
罪の暗闇に完全に縛られた私たちが救われる道は、この道しか残されていないからです。

           【聖歌・賛美歌・ゴスペルソング MP3より
 強くあれ雄々しくあれ
強くあれ雄々しくあれ(画像をクリックしてください)

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