2017年4月23日日曜日

4月23日(日)主日礼拝

4月23日(日)
島本キリスト福音教会 主日礼拝ビデオを公開します。

☆ メッセージ 川元伝道師
  エペソ人への手紙 4章22節~24節
  「古い人を脱ぎ捨てて、新しい人を身に着ける」




管理人です。
更新が滞っていることを申し訳なく思っております。

私がキリストの信仰の道を歩み出して14年。その間いろいろありました。
しかしキリストのみことばへの熱い思いだけは変わることがありませんでした。

一つのことに、これほど真剣に取り組めたことは今までの人生で他にはありません。
私が曲がりなりにも信仰の道を踏み外さず続けてこられたのが自分の力でないことは自分自身が一番よく知っています。

あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。(ヨハネの福音書 15章16節)

人は、天から与えられなければ、何も受けることができない。(ヨハネの福音書 3章27節)

今も、聖霊御自身が私に主イエス・キリストを求める熱い思いを、私の内に与え続けて下さっています。

兄弟姉妹のみなさん。キリストに倣うとは、どういうことでしょうか?
キリストのかたちとは何でしょうか?

キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、
自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。(ピリピ人への手紙 2章6節~8節)

キリストはすべての権利の源である全能のお方であられるのに「権威がある」とは主張されても、「権利がある」とは一度も主張されなかった。あなたはどうでしょうか?

あなたには自由な生活の権利があります。この世でそれを主張することはだれもとがめません。でも、あなたはキリストのかたちに変えられたのではありませんか?(今は肉眼で見ることは出来なくても)

「受けるよりは与える方が幸いである。(使徒行伝 20章35節)
キリストのかたちとは、キリストに倣うとはこれだと私は思います。

自己追求だけで、受けるだけでいいのですか?あなたに与えられた内なるキリストをこのブログで現すことは難しいことでしょうか?自分のあり方を捨てることは難しいことでしょうか?

キリストから受けた恵みは、流し出すためにあります。共にキリストの福音の恵みにあずかり、キリストと喜びを共にすることほどすばらしい体験はありません。

『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。

あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、

わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』

すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。

いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。

また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』

すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』(マタイの福音書 25章34節~40節)

0 件のコメント:

コメントを投稿