2017年3月8日水曜日

聖書改訂

最近、日本語訳聖書の改訂作業に関する話題をよく耳にするようになった。

すでに、新日本聖書刊行会(いのちのことば社)の「新改訳聖書」は、本年の9月に新しい翻訳聖書「新改訳2017」を出版することをアナウンスしている。

また、日本聖書協会の「新共同訳聖書」も別途、新翻訳聖書を出版すべく作業を進めていると聞いている。

先日、京都の同志社大学でこの日本聖書協会の新翻訳聖書に関する講演会が開かれたが、私も参加させていただいた。

ちなみに、新しい聖書は、来年2018年の年末までに出版するべく作業が進行中のようだ。
新翻訳の聖書名はまだ決定していないようだが、感触では日本の新しいスタンダードを目指して「標準訳」となる公算が強いように感じた。

この講演会で、新翻訳聖書の翻訳委員でもある同大学の先生の講演会があった。
この中で印象に残ることがあった。

それは『聖書翻訳とは聖書のみことばの畑を耕すこと』という話しであった。
改編は、言葉の時代変遷による改訂の必要性や、学問・研究の成果の反映、訳語の正確性の確保といった部分は当然あるが、何十年と同じ翻訳を使用している間に、踏み固められて、箇所ごとの単語の意味の固定化が進み、その中にある神の御言葉の深み・広がりに無感覚になって、表面的な読み過ごしが起こってくる。

このため、みことばを掘り・耕し、豊かな土壌を作り、そのことによって常に新しく新鮮な出会いを確保し、神のみことばの豊かさを受け取る必要がある、と語られた。

聖書を読むとは、単に表面上の単語の意味を機械的に受け取ることではなく、聖霊によって導かれ、読者の内に光が差し込んだその時初めて、語られた神の御思いの真実を受け取ることができ、神との新鮮ないのちの交わりができるということは、キリストで生きている信仰者なら誰でも体験していることであるから非常に印象に残る話しであった。

『聖書を翻訳することは土を耕す(土に仕える)ように聖書を耕す(聖書に仕える)ことである』

と締めくくって下さった。
ちなみに『耕す』のヘブル語の単語は『アーバド』と発音し、直訳すれば『仕える』の意味があるそうです。

またこの『アーバド』は『僕(奴隷)』と同じ語根の単語だそうです。
蛇に誘惑されエデンの園を追い出され、園の「いのちの木」から隔離されてしまったアダムについて

「主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。」(創世記3章23節)

と書かれていますが、このことによって神に『仕える』身から、地上といういのちを生まないこの世に『仕える』身となってしまったアダムの悲哀とうめきが聞こえて来ました。

0 件のコメント:

コメントを投稿