2017年3月11日土曜日

垂れ幕の内側

本日は、教会の兄弟姉妹の関係者が入院されている病院がある、京都市北部の岩倉の地に行ってきた。

用件待ちの間に、昔の五百円札に採用されていた「岩倉具視」の幽棲先であった住宅岩倉具視 幽棲旧宅があることに気づいた。
折良く公開されていたこともあり、さっそく見学させていただいた。

この居宅は、岩倉が「皇女和宮」の将軍家への降嫁を推進したことによって、佐幕派の頭目とされるに至り、尊皇攘夷運動の攻撃対象とされるのを避けるためすべての官職を辞して隠れ住んだ居宅です。

この居宅において、明治以降の日本の方向性が描かれて行ったとされる重要な歴史的建造物です。

この邸宅の中に「対岳文庫(たいがくぶんこ)」と呼ばれる昭和3年建設の洋風の倉が現存しており、現在は岩倉具視関係の資料館として活用されている。

中を拝見させていただいたところ、資料の中に寛永5年(1628年)に発行された御所之内(京都御所の城郭で囲まれた内側)の地図が展示されていた。
1626年(寛永3年)に、長崎奉行「水野守信」がキリシタン弾圧のため踏み絵を採用した2年後の古地図である。
寛永5年発行 京都御所郭内図
その地図の左側に、「御所之内」以外で居住する皇室に連なる家系の名簿が印刷されていた。
印刷されている関係者とは

* 郭外宮家(天皇家に連なる家系~菊の御紋の家系)
* 門跡(もんぜき)
  ~平安時代宇多天皇が僧となって京都御室の仁和寺に住み,
   この寺を御門跡と呼ぶようになった。
   それ以来法親王の住む寺院を門跡と称し,
   最高の寺格を示す称号となった。
* 堂上家(どうじょうけ)
  ~室町時代以降の公家の家格の一つ
   清涼殿への昇殿を許される家柄
   また、公卿になれる家柄

である。

何と、その中に私たち兄弟姉妹2名の名前を発見してしまいました。

すごい家系だなあと驚く一方、この世の身分関係ではなく、キリストにある十字架の愛、一点のみによって贖われ、義とされ、神と和解させていただいた兄弟姉妹の愛の交わりの中で愛し合える幸いをしみじみ感じた一日でした。

さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。

私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。

ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。(ヘブル人への手紙 4章14節~16節)

神は約束されたものを受け継ぐ人々に、御自分の計画が変わらないものであることを、いっそうはっきり示したいと考え、それを誓いによって保証なさったのです。

それは、目指す希望を持ち続けようとして世を逃れて来たわたしたちが、二つの不変の事柄によって力強く励まされるためです。この事柄に関して、神が偽ることはありえません。

わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです。(ヘブル人への手紙 6章17節~19節)

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