2017年3月10日金曜日

神の善意

長く聖書を読んできて気づいたことがあります。それは神さまの私たちに対する善意、これが聖書の一貫したメッセージということです。

主イエスの御生涯どうでしたか?
愛と慈しみに満ち、誰にもできない恵みの言葉を語り、誰にもできないわざをなして人々を癒されたのです。

こんな方を人々は十字架にかけてしまった。それでもイエスさまは十字架上で人々を赦してくださった。

神の言葉そのものである方が私たちの主になってくださった。
仮に私があなたを主としますって言っても、主となってくださらなければ自分の主って言えませんよね。

そうです、イエスさまは私の主となってくださったのです。
神の愛、神の真実がそうしてくださったのです。

私たちは、このイエスを主として、この主に人生をかけているのです。
だから毎日曜に礼拝し、日々に祈っているのです。

何故(なぜ)?
神の善意を信じているからです。
神の善意こそ私たちに対する大きな祝福です。

私たちは神の大きな恵み、祝福のすべてが見えているわけではないのです。
謙虚になって考えてみると自分は未だ神の大きな恵みの一部しか見えていないのだなってわかってきます。

そうであっても神の大きな恵みは私に降り注いでいるのだから神さまの大きな愛を、善意を信じ、なによりも神ご自身を信じて前進する。
これがキリスト者の生き方です。

こういう信仰の歩みに、ご興味があるのなら教会にお越しください。
教会には何の束縛もありませんから。

主は仰せられた。「わたし自身、わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ、主の名で、あなたの前に宣言しよう。わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」(旧約聖書 出エジプト記 33章19節)
安野光雅 津和野「青野林道」より

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