2017年1月19日木曜日

野菜作り

野菜作りは難しい。

作物を育てるとは不思議なものだと感ずる。
今年度の冬野菜の育ちが非常に悪かったからである。

昨年と同じように畑を耕し、肥料をほどこし、昨年と違う場所に植えたのだが、どこか違っていたのだろう。
その時の天候、気温、水の与え具合など微妙に違っていたのだろう。

ベテランの農業者なら天候を読んで必要なことをされるのであろうが、にわかに始めた私にはなかなか自然のことを考慮した作業ができない。

いくら口頭で聞いても理解できないのである。
やはり、自分でやってみて体で覚えないことには駄目なんだろうと思う。

同じことをやっていては駄目なんだと痛感させられた年となった。
今年こそはそのことを念頭に作業を進めたいものだ。

(新約聖書「ルカによる福音書」 13章6節~9節)
イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。

そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』

園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。

そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」

(新約聖書「ローマ人への手紙」 9章15節~18節)
神はモーセに、「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を慈しむ」と言っておられます。

従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。

聖書にはファラオについて、「わたしがあなたを立てたのは、あなたによってわたしの力を現し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである」と書いてあります。

このように、神は御自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされるのです。
農作業

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