2017年1月13日金曜日

年老いてもなお

「詩篇90篇10節」には、このように書かれています。

私たちの齢は70年
健やかであっても80年
しかも、その誇りとするところは
労苦とわざわいです。
それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。

管理人もいよいよ間近に迫って参りましたよ。
人間いくら頑張ったところで、健康的で快適な暮らしが望めるのは70年~80年。

『いつまでもあると思うなよ』ということですね。
目に見える社会の中だけが生きる目的であれば、こんな先のことは考えずに、ないものとして希望的観測に基づいて生活してる方が幸せなんですよね。

けれども現実はそうはいきませんね。
自分の希望的安穏が見事に取り去られる時がやって来ます。いや、もう目の前にあるのかも分かりません。
昨日までは、何の予兆もなかったものが、ある日、突然に襲って来る。

見たくないから、そんなもの考えないと言っても駄目ですよ。現実は必ず襲ってきますよ。
何故、こうなるのかは、私たちにはわかりません。

その時あなたは、何を目的に生きるのですか?何に頼って生きるのですか?

希望の実はしぼみ、熟し果て、落下して臭気をはらみ、その枝は、乾燥してへし折られ、人生の栄光を輝かせていたみずみずしいその葉は散り果て、もはや何の望みもないと、人生黄昏れて行くのみですか?

人生が『自己の実現』だけに終始するのであれば、その先は空しい。
権威・実績・人脈・動産・不動産・能力・知力・体力・美貌・経済力etc いくら自分の人生を、天高く積み上げても
その先には持って行けないものばかり。

もはや二度と戻れない暗闇が支配する地の奥底に引きずり込まれるのみ。

『あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。

 わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。』(新約聖書「ヨハネの黙示録 」3章17節~18節)

魂の救いのない人生は哀れで、みじめです。その時が来れば身にしみてわかります。しかし、わかった時にはもう手遅れです。

『人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。』(新約聖書「コリント人への手紙第一」8章2節)

自分が何者であるのか。どこから来てどこへ行くのか。誰が何のために、何の目的でこの自分にいのちを与えてこの世に生を受けさせたのか。
誰が父と母を与えたのか。何故、他の国ではなく、この国に生まれたのか。何故このような性格を与えたのか。考えればきりがありません。

 すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン』(新約聖書「ローマ人への手紙」11章36節)

私は全うに生きていると思っているあなたが、まず知らなければならないのは、そこなのではないですか?

先の見えてしまった、哀れでみじめなこの私に、もし救いがあるとしたら、その救いとは何なのか?

知りたいとはお思いになりませんか?
実に、知る手立ては、ちゃんと用意されているのです。
それは「聖書」です。

健康で、幸せに暮らしている今こそがあなたのチャンスです。
今すぐ手に入れて読まれることをお勧めします。きっとあなたの人生はこのような人生になること間違いなしです。

「詩篇 92篇から」

主に感謝するのは、良いことです。
いと高き方よ。あなたの御名にほめ歌を歌うことは。

朝に、あなたの恵みを、
夜ごとに、あなたの真実を言い表すことは。

彼らは年老いてもなお、実を実らせ、
みずみずしく、おい茂っていましょう。

(※ このブログのホーム画面には、新約聖書「ヨハネの福音書」ギリシア語対訳(私訳)のリンクがあります。もし聖書を読んでみたいとお思いでしたら、ご一読下さい。)
港の先に何が?

0 件のコメント:

コメントを投稿